009・投稿イラスト
 
 


◎中二時代投稿イラスト(1982年2月号)

   中学生の時の投稿イラスト。当時は最近で言う新ゼロ(井上009)のアニメや映画が公開された後の頃です。ちょっと緊張が続いてたので、息抜きUP。
 所謂第2次アニメブームの頃のアニメファンだったので、当時は相当009にはまってました。それこそ秋田書店サンデーコミックス版から小学館少年サンデーコミックスまでって感じで・・・1,2巻以外で好きなのは009の移民編〜11巻&少年サンデー版って感じなのですが。
 で、鉛筆漫画を書いたりアニメムックやコミックの模写やったりは日常的にやってたんですが、そんな中で投稿したのがこのイラストです。
  中学生の時はどちらかというと自分は鉛筆漫画ばかり描いてたんだけど。マンガってのはオリジナルで描くのが基本だと思ってたから。でもアニメファンってのは模写とかやるもんだと思ってたから、雑誌投稿は模写だったみたいです。
 中学生の時購読してたのは中1〜中2時代位で(中3時代の時点でドロップアウト。以外に連載漫画は面白かった)、雑誌やアニメ雑誌は買ってなかった(買うほどお小遣いがなかった)ので、投稿するとしたらそこ位しかなかったわけです(笑)。何で「せとたつ大賞」かというと、選者の名前が「せとたつや」という人だったからだ!!(^^);

 一応上のイラストでは大賞取ってるわけなんですが、ていうか、そんなに何通も送ったわけじゃなくて、実は2年通してこの雑誌に投稿したのって、これ一枚です。
 イラストは一応009の秋田版13〜15巻「海底ピラミッド編」から取ってます。
 要は全部模写なわけだから、レイアウトの勝利としか言い様がない。単なる根気と努力の勝利って感じ。才能でも何でもないよね。
 でも多分これってお情け(ていうか周囲のみんなが上手いじゃん?嬉しかったけどいいのかなと思った)。描いて送ったのは夏休み頃なんだけど、載ったのは翌年の2月号でした。
 というのも、結構このイラストコンテストは本格的で、基本的に使用画材はペンとインク推奨だったわけで。自分の絵はボールペン画だったから。
 もし他にいい所があるとしたら、薄墨の使い方が上手かったってだけでしょう。大賞は年間12人しかいないわけだから、それを考えればちょっと嬉しかったわけだけど、実は翌3月号の掲載者は全員せとたつ大賞扱いでした。爆笑。

 ていうかこの絵まで「ムジュカチイ」とか、非意図的な煽り語句使われてる所がとても僕らしいと思えるのが・・・うーん。

 自分的にはでもこういうコンテスト好きな気がしますね。なんていうかボーダーレスだし。どのマンガやアニメも何書いても自由でしょ?週刊漫画誌の世界だとその雑誌のマンガキャラのイラストしか描いてはいけない。小学館は小学館、秋田書店は秋田書店。しかも明らかに原作者が見ると思うと、結局ファン意識と原作者への媚びが出てしまうわけで、フェアな結果にならない。
 ここの場合、著作版権的に旺文社に関係のない所のイラストも描いてOKだったわけで、その点すごく懐が深いコンテストだなぁ、と思ったし。うん。なんでもありだしね。

 ただ、自分はこの回では「海底ピラミッド」編のイラストから描いたんだけど、やっぱ原作がすごく正体不明の話だからか、描いてて意外にダウナー行ってしまって(描きあがった時はやったー!なんだけども)。自分が描く009って、やっぱ最初に連載を読んだのがピアノの先生の所に置いてあった少女コミック版の「雪のカーニバル編」とか、あの辺りなんですよね。結構衝撃受けたわけで。だからなんとなく少女マンガチックになってしまうというか。でないと許せないというか(笑;

 ちなみに掲載号(画像)は春休み近いって事で、各アニメ映画ガイドが載ってます。富野氏のインタビューまでちらっと乗ってます(他は1000年女王と巨人の星)。池原しげと氏や松坂奈緒さんたちの連載も載ってるわけですが、実はこの辺の中学生や高校生向けの学年誌には過去手塚治虫先生も「日本発狂」(高1コース)等のマンガを書いてたりしました。自分も中学頃漫画全集とかで読んでた。なんかいい漫画です。
 そういうジュブナイル系作品が、中高生誌には似合うって感じでした。(ちなみに当時的には大阪のH方市に住んでました)

 009に話を戻すと、90年代に石ノ森氏がまだご存命の頃、市内のデパートに出始めの頃の氏のリトグラフ群が展示されてた事があって。で、その中の一枚がこの投稿イラストと同じ009の絵だったので、めっちゃきれいだったので・・・なんかすごく嬉しくなったり、欲しくなったり、感動した事を覚えてますw ・・・マル。
  (2006/2/7)
 
 
 

 
 
 
 
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