ドールファン向けプロフィール


ドールファンとしてのプロフィールがなかったので、とりあえず書いてみます
(ちょっとGIジョー写真を入れてみた)




◎ 1970年ごろ 
 兵庫県在住時、近所の友達の家や済んでいたアパートの前で遊んでいた時に、女の子たちが持っていたリカちゃんを見たりしていた記憶がある。子供の頃家にあった人形はポーズ人形や博多人形など。子供向けのポロンちゃん(ドラえもんの元ネタになった人形)などもありました。


◎ 1972年ごろ
 おじいさんおばあさんにはじめて買ってもらった可動人形は、ニューGIジョー正義の味方の「ミラーマン」だった。球体関節人形ではじめて遊んだのがこの人形。しかしスーツの上からだと関節機構がわからないのですぐ壊れてしまった記憶がある。3〜4歳ごろとは言え本当に申し訳なかったと思う。(ウルトラマンやライダーのソフビ人形などはその前にあるわけですが、デフォルメされたり人間キャラじゃないので、「人形」というイメージとは少し違ったと思う)

※ →の画像は、右がタカラのニューG.I.ジョー。アメリカのハズブロー社のGIジョーの日本国内販売版です。球体関節人形だけど腹部球体がひかえめ・・・ってのは、ドイツ・デューラー派の球体関節人形に通じてます。「21箇所が自由に動く!」ってのがキャッチコピーでした。


  国内販売版も最初はアメリカ版と同じ顔だったんですが、タカラ販売になって名前にニューが付き、同時に顔が通称わたる君顔になりました。ペイントヘッドで目の色や唇の色、顔の色などにバリエーションがあります。ひげのGIジョー、ドイツ兵なども出てました。
  →の左側はそれより前に販売されたイギリスはパリトイ社版GIジョーのアクションマン。悪そうに見えますがまともな人らしい・・・。顔の他、腹筋や臀部上などのモールドなどが国内販売版と違います。フロッキー加工のひげがすごいですが、これはLAND ADVENTURERという素体で、同AIRは金髪、SEAは赤毛です。

  ← サイボーグシリーズとは違い、腕も首もゴムテンションです。極めてオーソドックスな球体関節人形ですが、手首・ひじ・二の腕・足首・ひざはジョイント式です。




◎ 1973年ごろ。 4月か5月ごろに変身サイボーグ1号(シルバー)を買ってもらう。変身サイボーグはニューGIジョーを透明にして中にメカを内臓したヒーロー系着せ替え玩具。以降ずっと自分は殆どタカラ系玩具で遊んでいる。(ポピー製の変形合体の超合金にはどちらかというと弟がはまっていた。)
 ニューGIジョーのイメージは自分の世代だとサイボーグブックレットに乗っている「片貝健一」だった上、幼稚園時にはほぼニューGIジョーの展開は終了していた。
  ともあれ重要なのは、当時のサイボーグによって「球体関節人形」による遊び方を自分が覚えたために、自分の中の「人形」のイメージが球体関節人形中心になっていったということだと思う。
   同年秋。日曜日に、翌年小学校に上がる時のためのランドセルを父のつての業者さんのお家に買いに行く。そのランドセル屋さんの妹は大体僕と同年齢だったのだが、少し年上のお姉さんがいて、その子の持っていたリカちゃんが初代リカちゃんで、目の星が一つ星だった。初代リカを自覚的にはじめてみたのはこの頃。
  また、変身パットちゃんを玩具店で見て、その変身ドレスや変身するパットちゃんにかなりの興味を持っていた記憶がある。タレントパットちゃんにはあまり興味がなかった。
  後年に父の実家に行った時、おばさんに既に都会で自活をはじめていた従姉妹のアイちゃんのリカちゃんを見せてもらったが、そのリカちゃんも初代だった。以降「お姉さんたちの持っているリカちゃんは初代」というのがインプリンティングされる。おばの作った手編みの服を着たキューピーたちと一緒にいる所が本当にしっくりきてました(笑)。


◎ 1974年〜。
 小学校に上がって、クラスの女の子と会話する時に、リカちゃん(2代目)の話題を振られたり振ったりしていた。自分は男なのでリカちゃんアイテムを買う事はなかったけれど、北浦和商店街の玩具店にはわたる君などとうに生産終了してしまった筈のアイテムもいまだに多く置かれていた。
  ((お食事中のリカちゃん))みたいな販売商品が記憶に残っているんだけどあれはなんだったんだろうか?(ほっぺたが食べ物で汚れているリカちゃんなのです)
    ミクロマンが開始されるが、変身サイボーグ系列への興味は持続していた。

  (※自分が当時持っていたサイボーグ人形は好きとは言っても少なかったです。ヒーロー系より片貝兄弟やSF設定に興味があって、でも一応ブックレットはSF読み物として全部読み込んでいた。
   持っていたのは1号シルバーDX(カッタードリル・合成銃つき)、変身セット(ウルトラマンタロウST・ジャンボーグ9)、少年サイボーグ系(シルバー。シーホープVセット、サイクロイドZ)、サイボーグライダーオートバイセット、サイボーグジャガー(ブルー)、アンドロイドA(人間タイプ)、宇宙人Z 。
   けれども弟たちが1号少年ジャガーの別色だの宇宙人Jを持っていたので、自宅的にはサイボーグは結構多かったと思う。ワルダーは子供の時には自宅にはなし。
   ワルダーの武器群の造型は解剖学的描写も多いためベルメールの負の側面を負っていると思う。つまりワルダーというのはドールの邪悪側面の倍加キャラ。だから買わそうとしなかったんだろうと思う。


◎1975年〜
 マグネモシリーズ開始。マグネモも球体関節人形。鋼鉄ジーグのマグネモは自分はマグネモ8しか買わなかったが、親に黙ってお小遣いで買ったので結構怒られた。タイタンのマグネモも発売されてほぼすぐに買う。ミクロマンは最初のブルーミクロマンを買ってから、小学6年か中学1年ごろまで買い続ける。最後に買ったのはミクロマンブリザードとミクロマンパンチで、ニューミクロやダイアクロンは買わずにとりあえずタカラ玩具を一旦卒業、学研の電子ブロックや学研LSIゲームに興味を持ち出す。

◎ 幼稚園時からオルガンをはじめて、中学3年までピアノをやっていたので、その間待ち時間に少女漫画を結構読んでいた。多分サイボーグ009の少女漫画版なども読んだと思う。「アラミス'78」や「紅い牙」なんかもこの頃読んでいた。少年漫画は床屋さんで1ケ月分くらいずつ読んでいた。


◎ 1980年代初め
  母が「ビン人形」教室に通い出す。その粘土製のビン人形のヘッドは型で作っていたのだが、リカちゃんのような顔つきが型で作れる。きれいに形ができるのでこういう作り方があるんだ、とすごく感動した覚えがある。(型は先生の所にあるのでウチにはないです)
  その頃はフォルモがウチにあったため、コミックやアニメのキャラをフォルモで作ったりして遊んでいた。(当然当時流行ったプラモデルの改造などもやりながらです)
  また、その前後に母はアートフラワー(造花アート)の教室にも通っていたので、アートフラワーを作る手伝いもしていました。先生はアートフラワーの創始者の故・飯田深雪先生の生徒さんだったそうで、ノートとかを見ると結構詳細な当時のアートフラワーの資料になっていると思います。今自分がそれをしようとすると染料が難しいと思うのだが。上級者は草木染めとかするみたいだし。
  当時の自分の性格は、ぶっちゃけ少年そのもの(しかも髪型はもろ橘わたる)なのだが、大人の女性がする習い事は大体こんな感じだろうな、というのはほぼ経験できていたと思う。

  ちなみに母は東京に転勤する直前ロックミシンも購入しているのだが、こちらはあまり使われないままいまだに放置されている状態です(^^);


◎ この頃そのフォルモ系粘土で、球体関節人形を作ろうと試してみたんだけれども、1体の人形を作るのにかなりの量の粘土を使うらしきことがわかって、母親の粘土をむやみに減らしてはいけないということで自主的に断念。
  「人形」に興味を持っている原点というのはこの辺からだと思います。
 

◎ 1983年〜84年ごろ(上の前後の時期)
  千乃ナイフ氏の「夜姫」で「透明じゃない、白い肌で女性の」球体関節人形の存在に興味を持つ。「ジュサブロー」をイメージした部分もあるのは少年の自分にもわかったのだが、ハンスベルメールの名前を知ったのは多分千乃氏の本の解説か何かからだったんじゃないかと思う。
  ちなみに千乃ナイフ氏は松本零士・牧美也子ご夫妻のアシスタントをしていた漫画家さん。牧美也子さんは知っての通り、初代リカちゃんの監修をしていた女流マンガ家さん。


◎ 1986年頃。
 高田馬場の予備校に通っている間も駅前のビルの書店などで、結構芸術系だったりアンダーグラウンド系のものを読んでいて(「Sale2」も読んでましたハイ。)、多分四谷シモン氏とか天野可淡さんの名前はこの頃知ったのではないかと思う。でも、自分の嗜好性と違うと思い、その頃の自分はそういう球体関節人形の本などを買おうと思わなかった。


◎ 1980年代後半
   ジェニーシリーズのプリティーオリーブを買う。自分がイラスト用に人形を買ったのはそれがはじめてだった。けれども身体の細さとディフォルメのされ方と自分の絵の当時の方向性が一致せず、単に趣味で買ったお人形になってしまった。人形はこの時はこの1体以外買わず。
  デッサン人形も、少年サイボーグが手長で使えないくらいなので当然使えるはずもない。サイボーグ1号もある意味体格のいい男なので・・・当時は色々困っていた。


  
◎  1988年頃、リカちゃん・ジェニーのファッションデザインコンテストに応募するが落選。スカート部分にすかし状のカッティングの入った爽やか系ドレスと、サンキストのマークのようなカラーリングのカジュアル服だった。
   アニメやコミックへの道ではなくてデザイン的な方向に進もうかと模索していた頃で、オプティックオグラのメガネ・サングラスデザインコンテスト等にも応募したりしたのだが、自分の中でアニメ方面と美術方面と抽象デザイン的画風の模索や割り切りができていなくてどれもさんざんな結果になったと思っている。デザイン学校に通ったわけでもないし。
  ただ、こういうお人形系のコンテストは女性か子供が受賞するのがベストだとは思っていた。例えば80年代の自分のコミックキャライラスト(こっち参照)でジェニードレスのデザインを描いても、デザインはカッコいいと思えるかもしれないけど、男としては寝覚めが良くなかっただろうと思う。真剣な話。
  (※ 右画像が投稿したものの白黒コピー。かなり抽象っぽい。デザイン自体は結構似合うようにしてあるつもりだったんだけども。
   左がショートタンクの上にオフショルダーの透かし編みセーターと、麻混スカートの上にレースのドレス。スカートの後ろにはカットワークで多分ユリ。技術的にはドールでやるのは不可能かもしれない。今でもかなり困難っぽい(いくら何でも透かし編みは無理だろう)。けれどもこういうドレスをやってしまってたのが初代って気もするんだけど。当時は多分麻ブームだった。カラー風のネックチョーカー付。
   右がブラウスとタック入り変形パンツと横で外れる銀色6角バックルの服。サンキストっぽいカラー・・・;
   実はこのブラウスは背中のひもでバスト下を絞れるという設定だった。前のひも通しを胸の柄部分で隠しているという設定。ジェニー服じゃなきゃ多分使いようがない設定をリカちゃん体形で描いてしまった。色々と問題アリアリ感漂う・・・
   地味に見えてショートタンクとかは当時としては新しいと思う。今やジェニーフレンドとかでショートタンクは珍しくもないけれど。ショートヘアにしたのは別に似合うからではなく、ロングだと服が見えづらくなるかなと思ったから。その辺からして駄目。何より自信持てなかったのが駄目。
   こういう絵柄になっているのは、ファミコンか何かで表現しやすい記号的な絵柄を模索していたからでもあるんだけど、記号キャラの絵柄というのが根本的に自分は苦手だ合わないもう嫌だというのがあって、以降は全然書いてません。80年代後半はこんなイラストの草稿を結構描いていたりした。悩んでたx2。
 ( 。SF異世界もののキャラ。女の子が延々男の子を捜すという話とその世界観 ))


◎  プリンプリン物語の球体関節人形で有名な友永昭三氏の個展に行ったのが多分球体関節人形系の個展に行った最初で、その場にいたおじさんと「こういうドールが集まって展示されるような場所があればいいのに」と話した事がある。ある意味今のマリアクオーレとかそういう所が今出来ているのはすごいことだと思う。


◎  89年から91年まで、  初代ウルトラマンデザイナーで彫刻家の成田亨氏の美術教室(日野教室)に通いだし、彫刻モニュメントの手伝いやCMセットの手伝いをする。酒天童子(3m)の原型→石膏→FRP型段階での手伝い日数では自分が生徒中で一番だったと思う。この頃には既に写真撮影とかそういうのもはじめている。
   この頃にも教室の先輩に「球体関節人形を作りたい」という話はしていたんだけれど、なんか先輩たちはあまりピンと来ていなかったような気がする。けれども結局当時球体関節人形界には上手い作家さんも一杯いたわけで、他に上手い作家さんがいるのに自分がそういうものを作る意味合いってあるんだろうかという気持ちが先に立ってしまい作らなかった。


◎ 1996年ごろ〜
  「勇者ガオガイガー」の変身サイボーグ「獅子王ガイ」により変身サイボーグブーム。
   千乃氏の同人サークル「たいれる社」の同人誌にはやっぱり球体関節人形の少女が載っているので、嫌が上にも興味は復活してしまう。
   その後に変身サイボーグファンとしては、僕の興味は特撮ヒーローの変身服よりも、タカラオリジナルSFとしての変身サイボーグの方に行っていたので、ヒーロー服コレクターの興味とは別の所に興味が行っていたと思う。だが、なぜサイボーグなのか?と言われれば、それは球体関節だから、に尽きる。


◎ 1997年ごろ〜
  この頃最大規模同人即売会で起きたといわれた「ナチス軍服コスプレを見たユダヤ人大使館の子息が号泣した」という騒動。
  この騒動の為に、一時的にナチス軍服コスプレのカギ十字腕章禁止に、同即売会はなった筈だったのだが、その後「この騒動はデマで単なる噂だ」とされ、ナチス軍装もカギ十字腕章も復活していってしまった。
  僕的には、その時以降、例えそれが噂であったとしても、そうなりかねない可能性があるのであれば、ナチスコスプレはやめるべきだ、もしくはカギ十字腕章は禁止のまま放置すべきではないか、という意見を通していた。
  (近年特に反対している理由はそれだけではなく、同人オタクやエロゲームオタクやコスプレオタクが、80年代同様に、虐殺や虐待などの残酷陵辱行為に対して、再び不感症になってきたから、ってのが大きい。)
  実はこれは噂ではないとする立場のスタッフの人々もいて、その人々は同即売会スタッフから分離していったらしいのだが(ST●INER氏の掲示板に関連人物からの書き込みが残っている)、その人々も軍装関係だったらしく、かなり真相はややこしいもののようである。
  ナチス軍コスプレに対する反対については、別にベルメールの影響というわけではなく、むしろミュシャだのなんだのの芸術家に対する迫害に不快感があったと思う。
  写真家のヘルムートニュートンやタマラ・ド・レンピッカなどなどなど・・・迫害を逃れた人は多いけれど、迫害を逃れたあらゆる芸術家が素晴らしいと思っているわけではないし、ベルメールのデッサンも結構残酷なものはあるので・・・要は残酷を面白がる風潮が、僕は嫌なのだ・・・と思ってもらえれば正解です。
  (マンガやアニメの残酷描写にカタルシスを感じるのはあると思うんだけど(北斗の拳など)、極度の弱者(幼児など)をいたぶる内容はまた違うと思うし、2Dの虐待描写どころかリアルにいじめられている少年少女まで面白いと思っている感性の人が多くなった、ってのが大きいと思う)

◎ 1999年
  親戚の人(諸事情により今は疎遠)に某トレーディングカードメーカーがカード企画を探しているというのを教えてもらい、自分が考えたのが恋月姫さんの人形のトレーディングカードだったのでそう伝えると、売れるわけないだろう、もしくはプレゼントに人形1体いくらすると思っているんだという話に至り、あえなく失敗。  


◎ 2000年頃
  ジェニーのカレンダーガールミュージックの「カントリー」を買ったり、樹脂素体のジェニーを買ったりするが、カスタム系ドールには全く興味がなかった。商品に魂を込めていくという段階が果たしてあるのかと思うからだ。人形には元々大量生産品にも魂があるのではとは思っているが、完成品販売でなくパーツをカスタムしていく人形というのには魂があるのかといえば自分はかなり疑問に思う。
 この頃スーパードルフィーシリーズが開始されるが、自分的にはこの頃まで「球体関節人形はビスクもしくは粘土製の手作りのもの(であるべき)」という印象があって、キャスト製ドールシリーズになじめなかった。(今は少し考え方が違っているけれども、材質も重要だけど一番大事なのは形だと思う)
  その後自宅パソコンインターネット接続開始。


◎  「やきゅうぼうのトオルくん」の箱つきデッドストック品を、横田基地の近くの古玩具店で1500円で売ってもらったり、初代リカちゃんのダイニングテーブルセットをかなり安く譲ってもらったりする。
  そのため初代リカちゃんシリーズに興味を持つよりも、自分の玩具マニアとしての興味は「チビッコメイト」のチーちゃんなどのシリーズに向かっていた。理由は価格的なもの。
  リカちゃんママを買いたいと思ったのだが、当時はよく理解できずに買ったママは2代目ママだったりした。 インターネットで検索しても初代リカは高かったし、自分が手に入れられるとは全く思っていなかった。


◎ 「イノセンス」の時の球体関節人形展に出かけたりしてその後人形系の展覧会にも色々でかけるようになる。「イノセンス」を見て、人形が本当に好きな人はこういう映画を作らないと言った人もいたが、自分もきれいな人形が壊れていく描写は好きではない。ただ、一般的に人形というのはそういうイメージもあるのは確かだろうなぁとは思う。きれいな間のハダリの描写は、 作画でもOPのCGでもやっぱり好きにならなきゃ描けないよなぁと。


◎  タカラの50周年記念本 「タカラノタカラ」 に変身サイボーグ系サイトとして掲載される。サイボーグやミクロマン関連で掲載されたサイトは自分の所だけだった。その後届いた本のリカちゃん特集と、リカちゃん開発者の小島康宏さんの記事を見、リンダさんの「ドウニモトマラナイ」や みやりさんの「遊びをせんとや」を見て、ドール系にかなりの興味を持つ。


◎ 2006年
  父の3度目の手術の直前に都心のフリマで手に入れたリカちゃんたちが初代だったことから、初代リカちゃんたちを集めはじめる。その時入手したのは、初代リカちゃん、ピチピチリカ、初代ママ、2代目リカちゃん、パットちゃん、ハルミちゃん、チーちゃん、チーちゃんのママ、トミーのサイクリングユッコちゃん。全て各300円で入手できた。開場後暫くたっても売れていなかったんだが、あまりにも安いのでみんな最近の商品もしくは復刻版だと思い込んでいたらしい。
  これを中野の某店に持っていって、お人形素性を知った時に、お礼にチーちゃんだけ手放して、それ以外の子たちはその後一切手放したりされずにいます。この子たちは「もし親がいなくなった時に僕のそばにいるためにきてくれたんだ」という風に思っていたりする。また、そういう理由でなければ彼女たちは来なかったと思う。少なくとも売るためではないよね。逆にこの時手放したチーちゃんにはかわいそうなことをしました。
  その後彼女らの服や周辺アイテムにかけたお金が、お金なしの自分としては結構とんでもない事に。


◎  球体関節人形に対する自分の遡及心とくらべれば、着せ替え人形を必要とするニーズはさほどではなかった筈なのだが、球体関節人形はサイズ的にリカちゃんたちに比べると圧倒的に大きいので、周辺アイテムと絡ませる事が困難で、その点初代リカちゃんはテーブル関連でもハウス関連でも遊べる魅力的なものがそろっていて衣装もポップだったりサイケデリックだったりしていた。それと何よりかわいかったのが持続できている理由なんだと思います。


◎ 2009年
  それまでにも色々造形物は作っていたんだけれども、ある日偶然粘土をいじっていて作った球体から手首を作ってしまい、小さいサイズで球体関節人形を自作しはじめました。


  ていうかほんと、ゆっくりしたドール趣味ですが、どうぞよろしくお願いしまーす! (^.^)/;;;

2010年4月8日   あいす (kohji_molimoto)




MO-Cute TOP

ドールページTOP

リカちゃんページTOP
 
メールはこちらまで!
dexiosu@hotmail.com