単純所持禁止法案について

( 2011_7/12 更新分 )

この文章書いている現在で、制定が議論されている、
児童ポルノ法改正案の単純所持禁止法案について考えるページです。

Google+とBlogger(Blogspot)に17個近く偽ブログを立てられて削除してもらっています。(詳細。必読。)
15個は削除してもらいましたが、まだ残っています。盗撮画像+コラージュに、個人情報さらした上で、
本文を無断転載、本文に合わない暴力的な文章タイトルを無断で付けている狂った偽ブログです。
同人誌やコスプレイベントの悪質スタッフのシンパが立てているようですが(僕をナチ呼ばわりするので)、
まだ、犯人は逮捕できていません。それ以前の問題なので。(2014_6/29 5:40 JAPAN TIME)

「具体的な廃棄の方法をお示しする立場ではない」と警察庁…誰にもわからない児童ポルノの廃棄方法

・・・という感じらしく(詳細は↑のブログにて)。困っている人もいるかもしれないし、実際、
自分の場合も人形制作中で絵も描いている、描いてきたわけなので、色々悩んだ所はあるんだが
なんとか美術系作家or人形作家もしくはクリエイター、アニメ漫画キャラデザイナーは普通に出来る奴というレベルではあるので、
美術写真などを資料として持っていても単純所持だと言われる必要性は(僕については)もう無くなった。
絵や漫画は描いているが、いつ職業にするか解らないって人でも、現在描画や造形の実力あるなら持ってていいと思う。
なぜなら未来の事なんて誰にも解らないし、修練をしてプロになるアマチュアを資質なしとするのは、
ただの無知の暴論でしかないからだ。で、こういう暴論を警察は時たま言うけれど、警察より実は消費型オタクが言う方が多い。
つまり美術や写真、アニメ漫画の作家や作家の卵(いや、以前書いた通り服飾業界や医学界の人でも)に対する、
オタクなどの消費者側の嫉妬が増大して、ネット上のそういう論議が暴走し、問題が肥大化してしまうわけで、
それがこれまで非常に作家側を苦しめてきた原因になっている。

で、児童ポルノ法が施行されて以来、少女ヌードの絵画が規制されているかというと全くそんな事も無い。
例えば先週日曜も、少女のヌードを描き続けたスイスの画家バルテュスについてのNHK日曜美術館が再放送(8/10)されたが、
(バルテュス展についての感想は、美術ドール感想ページにて)
その内容は、単純所持規制法案可決前と後とでは、全く放送内容変更が無かった。
つまり絵画の少女ヌードのスリット描写も、視力を失いつつあるバルテュスが撮影したデッサン代わりのポラロイドも、
改正案可決、7月の施行前と放送内容が変わらず、つまり絵画・写真においてはそういうルールだと決まったと考えていいと思う。
写真については、モデルのアンナさんが同意しているから、大丈夫なのだろうし。
つまり↑の場合重要なのは、少女ヌード写真が美術的写真であること、そしてポルノで無いことを、
何より被写体の少女なり家族なりが認めているというのが条件になってるんだろうなと思う。
(例えば「バルテュス最後の写真展」に行ったら、小学3〜4年生の男の子も普通にそれらを見に来てたが。)
一般的に言えば、例えば家族の子供の頃のヌード写真を児童ポルノとみなす事自体が本来間違いなわけで。

そして根本的に、児童ポルノ法が最初に施行されて以来、少女ヌードの写真集や
少女ヌードを掲載した雑誌が無かったというと、全くそんな事はなく、(美術写真系では)
例えば日本の作家が、海外少女を撮影した7〜80年代のヌード写真集も復刊されてネット販売されていたし、
海外の少女ヌードを撮る写真家の作品集も日本のネットで売買されたり、主に復刻が出て店舗販売されたり、
その種の美術写真について、継続的にイラスト造形系のクリエイター向け雑誌にこまごま掲載されたりもしている。
つまり、児童ポルノ法改正後に出版されているもの、それと同レベルの表現の過去の写真で、
現時点まで裁判などの問題になっていない一般市販物の美術作品・写真・映像(映画「エコール」など)であれば、
(またはそれと同等表現の過去のそれらであれば)それは児童ポルノではないと考えられている、と見なしていいわけです。
もしそれらが児童ポルノなら、児童ポルノ法最初の施行後以来、根本的に出版も出来ないし、
各雑誌紙面にも絶対組み込めなかった筈なので。

あと、ヌーディストの家族を撮影してきた、ジョックスタージスの少女ヌード作品は多分ほぼOKです。
90年代の米国での裁判で、彼の少女ヌードはポルノでは無いと判決が出ていて、
おそらくアメリカ側から児童ポルノ扱いされる事はない。ていうか国家別の判決で作品の本質が変わるわけ無いじゃん!馬鹿・・・
著作権や特許が、日本より米国優先なのは、アニメや発明品などと一緒なので(漫画などでそれやられると悲しいが・・・・)。

もちろん過去に18禁として売られた作品群は駄目ですが。18禁じゃまんまポルノなので。

で、問題になるかもしれないのが、やはり日本の作家が日本の少女を撮影したヌードで、
本当は一番上に書いたバルテュス展のアンナさんの写真のように、大人になった被写体の方々が、
「あれは芸術で、ポルノではない」と表明すれば全てクリアできる筈なんだけど
(例えば、清岡女史の写真集であれば、その被写体の方々で、今も芸術だったと主張する方々とか。
女史の写真は、いわば日本におけるスタージス氏のようなものなので(表現レベルが)、悔しいなと思う、)
それをなかなかしづらくしているのがこのアスペルガーな日本社会なんだろうなぁとは思います。
それと、ろくでなし子さんの場合もそうだけど、オタク方面で彼女をほめそやす連中とか、僕は邪魔だ。
まぁ、残り一年の間に、みんなで考えてみよう。なんでこうなったのか、とか。
自分はもうちょっと納得行く作品作れるように頑張ります。(2014_8/13 2:39)






児童ポルノ法が改正されてしまいました。
つまりコミケ派閥の反対運動はあまり意味が無かったという事だと思います。
同人誌は無事だのアニメコミックは無事だのと言っているようですが、
問題は、それが美術芸術にもおよび、更に個人の恋愛なり幸福なりを規制したあげく、
焚書と歴史(文化史芸術史)の改ざんをもたらすという事です。
その果てには今の中国や朝鮮半島が陥っている、自国の歴史の必要以上の美化と、
本当に美術芸術に携わってきた人の心根への批判と侮蔑、誹謗中傷の未来しかありません。

(※ なぜコミケなどが、美術芸術(絵画・彫刻・写真)への擁護をしないかといえば、
彼らは18禁コミック会社との関係が深く、少女の性を描いた「絵、ドラマ付きのコミックなど」を
コミックジャンル内で独占したいからです。そこには美術芸術的視点は欠落しています。
最近は美術芸術でも、理想主義的で無い人々はいますが・・・
(彼らはコミケを資本主義だといっていますが、実は彼らは外部には著作権を軽んじる社会共産主義ですが)
つまり、18禁のゲスな類や、著作権違反物の過激さが売りな、一般商業誌と同人誌があるから
彼らの言う資本主義は成立しているわけで、・・・昔から一流文化としてある、絵画彫刻芸術に彼らは 消えてもらっても構わない からです。


女の人に言いたいですが、「やった事は消えません」。僕はリベンジポルノなどは大嫌いですが。
僕はアマチュアがヌード写真を撮ったり絵画を描いたりする事は一切罪だと思いません。
恋人同士がヌードを、親が子供のヌードを撮ったり描いたり、別に他人のことです。メディアに見せるなってだけで。
自分が美しいと思うものを描いても撮ってもいけない世の中、こうありたい理想の人生を、
書いたり描けない世の中は、思想犯を生み出す時代の最も恐ろしい部分を備えています。
つまり、思想信条や理想を、人の心から消せば、あとはお仕着せの思想を若者になすれば良いという事です。
(※それはアニメファンに対して老害の腐れオタク(を仕切っている連中)たちが昔からやってますが、
結局の所、次は地方自治体や政府や教育やマスコミが、それを次々やってきているし、僕の予測どおりそうなっています。)
昔から何で宗教が「人間には罪がある」と言っているかといえば、この人生で誰もが清純でいることは難しいから、
「人間には罪がある」「人間が清純でいることは困難」な事を互いにわかっておいた上で、
それを知った上でも、心美しく生きよう、とするのが宗教だし、宗教なくてもそうだと思います。
あった事実を無かったことにする事や、罪を隠蔽する連中(女性含む)が幅を利かす世の中を、僕は嫌いです。
ていうか、「人間を信じろ」と丸投げに言うアニメは僕は嫌いです。
「神を信じろ」という言葉は、人間が必ずしも信じられないからこそあるわけですが、
人が誰かを信じるかどうかくらい、個々人の力を育てて、個々に決めさせる世の中にした方がいいと思います。(2014_6/29 6:01-6:17 JAPAN TIME)





なんというか、この法案はいわゆる密告社会を作りかねない法案になりかねないので、
問題だと感じている人は相当に多いと思うんですが・・・

ただ、最大規模同人即売会の反対運動とは考え方が全く違いますので注意してください。
あの即売会や直営中古同人誌店では、多くの低年齢児童キャラクターに対する、
性的陵辱的内容の同人誌が販売されているので
自分はあの即売会関連の反対運動には同意できません。
あくまで僕なりの視点、芸術とポルノの差異に注目する視点から書いてみます。

「単純所持禁止」というのは、普通社会では麻薬や銃刀以外なかったことなわけで。
たとえば無修正Hビデオだって、現在、単純所持禁止扱いではありません。
ていうか、自分は児童ポルノの実写は基本的にいけないと思ってるんですが、
少年少女の芸術としてのヌードなどが汚いものだなどとは思っていません。
つまり、芸術とポルノの線引きについて、過去から自分なりに思っている事を書いてみます。
線引きが明確になれば、かなりわかりやすいのではと思うので、
シミュレーションも含めて書いてみます。
All Texts by Kohji Molimoto
(このページは上から読んで下さい。間に合わないかもしれないけど、順次更新。)



◎ >ナイフ突き付け、女児連れ去る=わいせつ目的、小学校教諭を逮捕―警視庁
  児ポ法改正案の単純所持禁止が持ち上がっているこの時期に・・・一体何やってんだこの小学校教師。ていうか川崎から多摩地区内までわざわざ来てやってるのがまず・・・。地元警察はお手柄。
  ていうか粘着テープで女の子を縛っていた時点で誘拐じゃないか、って。捕まって当然。少女のヌードを撮りたかったから誘拐で粘着テープで縛るって時点でまずおかしい。
  というか芸術絵画のモデルにしても写真モデルにしても、まず親の承諾を得た上で同席で、とか色々その前に段取り踏むべき事がある筈だ(昔のテレビドラマの子供たちの入浴シーンと同じ)。それが風潮として認められるか否かはともかく。誘拐する位なら諦めろよ!!としか言えない。
  もしこの逮捕が長引いてたら、また2chの叩きとか最大規模即売会系の叩きスタッフとかが、多摩100人少女猥褻事件(犯人は既に逮捕済)などの頃みたいに、僕を犯人扱いして地元警察にデマ通報していただろう。そうなったらたまらない。
  ていうか自分は車の免許を持っていないので、根本的に車で連れ去るとか出来ないわけだけど、ニュース板とかに書かれたら消えないからなぁ・・・いちいちこっちもチェックしきれないし。
  またもデマで自分が疑われていたかもしれないと考えるとぞっとする。犯人が早期逮捕されて本当に良かった。
     でもなぁ、多摩の地元でも都内だかどっかに行ってまで淫行やってた教師が以前捕まっていたし・・・・・・。神奈川に対してばかり、怒れないかもしれないんだが、神奈川は前例多すぎる。 (2011_8/5)


◎  芸術系の表現の自由ってのがあるので、自分は過去に発売されていた少女系の芸術系ヌード写真集などの単純所持禁止には批判的なんだけれど。特に海外系。海外で合法扱いな写真集が国内で禁止とか、わけわからないし。
  ていうか単純所持禁止だと、仮に資料所持であっても、プロにしか出来なくなるわけなので、彫刻でも人形でも、新人作家が育たなくなる。(以前自民党に電話をかけた所、プロの資料所持ならOKらしいんだが、ならプロになるまではどうなるんだ、って事になるので・・・)
  まず基本的に未成年なんだから子供だけでなく親からも許可撮るとか(そりゃ許可取りたい奴にとっては困難だろうけど、そんなの当然だって)、発表までに成人まで許可取れるかどうかを待つとか、色々考え方はある筈なんだよね。自分はそこまでする気は現時点ではないですが。
  (ていうか90年代にも撮影会のバックにマジものの児童ポルノ団体が糸引いてたって事件はあって、それで本当の芸術ヌードがどんどん規制されていったらしいから、かなり複雑な事情はあるんだけれど。)

  念のため書きますが、これまでの青少年健全育成条例と、児童ポルノ法の今までの制定改正で、僕が反対しているのは、実質今回の改正案の単純所持禁止だけです。
  最大規模即売会系などの同人やコミック系みたいに、片っ端から反対してきたわけじゃないので。いずれにしても「芸術規制」については自分は文句言う時があるってのは認識しておいてください。
  芸術作品とか記録とかを、歴史から抹殺しちゃいけないと思う。今は批判されがちでも将来は認められるかもしれないなら、個人の持ち物からまで抹殺するというのは、やり過ぎで、やっぱりネット掲示板などの露出手段から悪質者を責めて行くべきだと思うんだが・・・。って事で、しばらく休んでいたけど、このページも後で更新します。
  まず、「正当派の芸術系でない、18禁のエロ漫画ゲーム同人誌で、実写の児童ポルノ画像をモデルにしてエロシーンの作画をしている連中は、果たしてこの法案で正しい資料所持と認められるんだろうか?」って所から。自分は結構懐疑的で・・・認めるべきではないとすら思ってます。矛盾してる?
   (2011_8/5)


◎ 自民党側の法務関係の方に電話で聞いた所、「今国会で、自民党公明党による児童ポルノ法改正案の再提出予定があるという新聞報道は、誤報(そう言われました)だ」との事でした。
  今国会で再提出というよりも、既にその改正案は2年前に提出されていて、それが「単純所持規制」について言及しているという事で、民主党側に拒絶され、その後全く進行していないそうです。
  今国会での審議予定も現時点ではないそうです。
  で、自民党公明党の案についてですが、例えば芸術かポルノかなどの区分けについてですが、芸術(絵画など)についてはポルノとは考えないのだそうです。
  写真については規制されるが、(例えばそれが海外の芸術写真集であっても、過去に国内で売られていた写真集であっても)それが芸術かポルノかという事になるならば絶対各案件で司法判断になるので、ようするに司法判断なり裁判の積み重ねで決めればいいじゃないか、という事らしいです。(←この辺にはかなり一般側にとっては難問題がある)
  ただ、少年少女のヌード写真であっても、資料・研究(特に医学方面など)の目的で所持しているという場合は、単純所持扱いにはならず、一応「絵画(彫刻)であっても?」と聞いてみると、「絵画彫刻などの創作目的で写真を所持している場合も、単純所持扱いにはならない」との事です(当然ですが・・・)。
  いずれにしてもこの法案の審議については、民主党側が止めているそうで、審議予定は全くないので、新聞報道は誤報だとの事でした。自分は芸術目的所持に対しても、単純所持規制に到るのは反対なので、とりあえず今国会で審議にならない、という事は、聞いてほっとしました。
  (※ 自分は児ポ法の基本理念には賛成ですが、議論の余地がある重要な法案を、大震災でこれだけ大変な時に議論する事は、避けるべきだとは、思います。)  (2011_7/7)


◎ で、芸術かポルノかの線引きについて考えてみる、その前に、
  はじめに、芸術とアートの線引きについて考えてみます。
  (ただ、声優さんの演技や、歌手の歌唱については、生声であり、生身のコミュニケーションに近いものがあるので、以下の文では書きません。ある意味もっと高い所にあるかもしれないので。入れるとしたら芸術にしか入れられないので。)

  最近軽く「芸術」って言葉が使われてます。自分の恩師なんかは結構その辺について慨嘆していた人ですが。
  英語で言えば、芸術=「Art」です。でも、日本では「アート」という言葉が流行るようになったのは、最近なので、現代芸術以降のことをよくアートといいます。
  「洋画」「日本画」「彫刻」などは、昔から「芸術」といわれ、現代芸術などがアートといわれる事が多かったわけですが、一般的に、芸術の性質は、「純粋芸術」「商業芸術」「総合芸術」のような言葉などで区分されます。(判りやすく書いているので他の言葉はちょっとはしょっています)

  ○「純粋芸術」というのは、個々人が「描きたい、造りたい」という初動に基づいた芸術で、作品を造りたいという芸術的感情やインスピレーションそのものを純粋に表現した芸術です。作家が気に入ったがゆえに売られる事がなく芸術家のアトリエにずっとそのままになる場合もあります。
  ・・・一番判りやすい例で言えば、子供や素人が絵を描きたいという感情のままに絵を描いて、その感情が純粋に描画対象への愛や敬意や描画の追及や対象の表現など・・・それで技術が優れている場合、純粋芸術です。
  愛する人、美しい人や物や風景を描きたい、写真に撮りたい、彫刻にしたい、というのも純粋芸術です。
  音楽も、作家自身の芸術的感情やインスピレーションによって作曲演奏された場合は、純粋芸術です。
  衣装デザイン、写真撮影などでも、個人の芸術性による場合は、純粋芸術となります。
  ○「商業芸術」というのは、売るために作られたものです。例えば所謂アートがそうで、主に複製画(原画を忠実に再現した油彩や水彩他)、リトグラフ、などは売るためのものですが、考え方としては、依頼を受けて描かれた絵画、肖像画、彫刻、写真なども含まれるし、イラストレーション、音楽なども、依頼によって作られたり、複製頒布言うに及ばずです。現代芸術以降には再頒布性が高いものが多いので、アートと言われやすいです。
  自分の恩師(初代ウルトラマンシリーズのデザイナーですが)は依頼を受けて描くデザイナーの事を、芸術家ではなく、芸術的な職業だ、と言っていました。
     コミックやアニメ、映画もそうなのですが、その場合は以下の「総合芸術」の方が近くなります。
  ○「総合芸術」というのは、作り手が沢山いたり、映画、アニメのように「音楽」「映像」「俳優の演技」「作画」「俳優の衣装」「撮影」など、色々なジャンルの総合した姿として作品が形作られているものを言います。それらが重層的に表現されている事でなりたっていて、結果芸術性があれば芸術という事です。個々の技術は芸術であってもなくても結果に芸術性があれば芸術なので、いわば結果論的です。
  映画は総合芸術と普通に言われてますが、総合アートと言った方がいいような映画もありますが。


  つまり、純粋芸術というものは、商業作家でなくても作れます。一般人が純粋芸術を作っている場合もある。この点が重要です。
  純粋芸術作品も販売はできます。販売目的で作ったものではないので、優れていれば高く売れる事もあります。大家の純粋芸術作品は、大概高額です。
  対して、最近で言うアートというものは、純粋芸術とは作り手の製作動機が異なります。個人の内面からなる「表現」と、他者によって「依頼されたもの」「金儲けの為のもの」とは異なるからです。
  というかその作品が芸術であるか否かという問題には、必ず作り手の「芸術精神」とか「芸術性」というか、製作する上での動機とか感情とか理念とかインスピレーションが必要なわけで、それらが希薄であり 売らんかな であった場合、それらの作品は普通、芸術とは見なされません。
  職人の作業であっても、芸術性を感じる感じない という言葉がよく言われるのはその為です。
  従って、商業向けのコミックやアニメなどは、総合芸術と言われる事はあっても、即、純粋芸術と言えるかというと、極めて難しいものがあります。逆に絵画や彫刻や写真や作曲などは、純粋芸術性が高いものが作られやすいと言えます。ただ、日本国内では、芸術性が高いものは一点性もしくは希少生産性が高く、アートは再生産、頒布性が高いと言えます。

  考え方としてArtificialには「人工の,人造の、模造の」という意味があるのですが、どちらかといえば工芸的な意味合いがあります。工芸作品を作る人は、やはり職人的に他人に売ったりするために作る人が、自己の為に作る人よりは多いでしょう。だからアートは頒布性や再生産性が高いと言われるわけです。
  芸術というのは、芸事とか術(すべ)ですから、もっと生身的な感じで、俳優(actor)のActも含まれます。生身や魂が大事にされている世界も含めた言葉です。
  声優さんの演技や俳優の演技は、極めて生身に近いです。あの方々は、人工ではなく生身を使ってます。だから、芸術とかアートという言葉では表現できず、もっと尊重されるべきものかもしれない、そういう言葉では表現しきれないかもしれないと、自分は思ってます。
  (※ 歌手をアーティストと言うようになったのは、ほぼ80年代以降ですが、シンガーソングライターなど、芸術的=artisticだからアーティストと言っているのであって、芸術家かというと微妙。でも、歌手は歌手、シンガーはシンガーとして素晴らしいわけで、それ以上何を言う事があるだろう?ねぇ? )
  重要なのは上の「○ 純粋芸術」の部分に書いた、芸術精神とか純粋性が、作品から見出せなければ、それは魂やテーマや表現性がないので、芸術と言われづらいって事です。
  特にアートは依頼で描かれている場合が多いので、私的な感情が無いまま作られている作品も多くあります。「表現」ではあるが、作り手の内面に表現の動機がない場合もあるわけです。

  いずれにしても、アニメは多くのスタッフが携わる分だけ、総合的であり、コミックは、個人で作られていますが複製頒布性が高いから商業的です。
  しかし、それぞれの作品、みんながみんな「芸術か?」と言われれば必ずしもそうではありません。
  それらの作品が作られる動機が、金銭をもうけるためという場合も多いし、描写対象への敬意や愛など、作り手の美しい内面が素で描かれているだけではなく、毀損感情や暴力衝動にすり替わっている場合が多いからです。18禁などによく言える事ですが。
  非常に逆説的理論ですが、破壊衝動なり毀損感情が芸術的なのか?って事です。それらは普通「美術的」ではありません。醜悪なものも含まれるので。動機が醜悪であれば芸術的だとは見なされづらい。
  美少女キャラが死ぬ場面があるとします。幸せに死んで行く場合、哀しく死んで行く場合、色々あります。惨殺の場合もあります。それらがどれも同じに芸術的かというと否です。
  で、例えば既にある作品の、2次創作的な同人誌が「芸術」と見なされるかというと、元々の作品があっての事なので、どんなに技術が優れていても、「芸術」「アート」とは見なされない事が多いです。作る上での「芸術精神」「芸術性」が発揮されている事はあるのですが、そうは見なされづらいし、簡単にみなすべきでもない、ってのは事実です。
  コスプレも同じ事で、どんなに出来のいいコスプレでも、元のデザインがその人の物でない場合は、どんなに頑張っても「芸術精神」「芸術性」が発揮されていても、芸術ではない。
  コスプレは(デザイン版権元の許諾を得れば)アートにはなりうるが、作り手のデザインでない限りは、アートになっても芸術にはなりえないよね、ってのは、そういう事です。すごくもったいない事ですが。でも「作品だ」ってのは事実。その辺が難しくて、面白いわけだけど。
  もっと簡単に言えば、「売らんかな」の動機は、芸術性とは関係ないわけです。
  日本では、芸術=アートでも、アート=芸術でもありません。アニメやコミック=必ずしも芸術というわけでもありません。その辺を理解してもらった上で、次の話に進みます。
  
  次は「芸術的ヌードと、ポルノグラフィーの違い」について、考えます。
  (2011_7/1)

  (P.S. ファインアート=純粋芸術じゃないのか?!という意見もあるかもしれませんが、
  上に書いた通り、アートと芸術のカテゴリが微妙に違うので、ファインアートと純粋芸術も、微妙に違う。
  例えばピカソが晩年に実子の絵などを描いた絵皿を一杯作ってますが、あれには純粋芸術性があるわけで。恩師は絵皿系は手抜きに見えると言ってたけど(笑)。
  逆にドガが、晩年発表せずに作り続けていた100体近くの踊り子の彫像などは、純粋芸術に近いと思います。)


◎ 芸術的ヌードとポルノグラフィーの定義について、また表現芸術について、例になるイラストを書いて、例示しながら書こうと思ったのですが、その例にするイラストを描けていないので、文章のみで一旦書ける所まで書きます。暫定ですのであとでイラスト込みでの解説になると思います。同時に、アニメやコミックはエンターテイメントであり、サービス業の一種でもある、という点にまで議論を勧める予定です。

  実は、この問題で一番重要なのは児童ポルノのみでない、「ポルノグラフィー」というものの定義です。

  例えば、ネット検索してみます。
  wikipediaのポルノグラフィーの項目によると、ウェブスターの「国際辞典」は、「性的興奮を起こさせることを目的としたエロチックな 行為を(文章または絵などで)表現したもの」と定義しているそうです。
  同時に、『オックスフォード英語辞典』によれば、(writing of harlotsの意)が語源であるという説があり、直訳すると売春婦の行為に関する文章や絵という意味だそうです。
  ヤフーの辞書検索・・・小学館の日本大百科全書によると、「人間の性または性的興奮の誘発を目的とする小説、絵画、映画、写真などの総称で、略してポルノともいい、伝統的な好色文学とは区別して現代的、西洋的なものについていうことが多い。」となります。
  
  ・・・つまり、重要なのは、ポルノグラフィーが「性的興奮を起こさせることを目的としたもの」もしくは「人間の性または性的興奮の誘発」を目的とする「小説、絵画、映画、写真」などの総称を言っている、という事です。
  また、法律文には「いたずらに〜〜してはならない」という言葉が書かれています。つまり、「不真面目に」という意味です。
  逆に言えば、真剣交際ないし純愛ないしは哲学の表現である場合は、「いたずら」ではないって事になり、「性的興奮を起こさせることを目的としていない作品群」はポルノグラフィーとは言わず、仮に少年少女の写真であっても、その目的が性的興奮の誘発で無く、芸術性が高いものなら、それはポルノグラフィーとは言わないという事です。

  実際に海外の同種の裁判でも、それがオーソドックスな判断となっています。
  しかし、逆に注目して欲しいのは、ポルノグラフィーはものによっては、小説、絵画なども指すという事であり、その中には当然日本のエロゲームや18禁コミック、同人誌なども含まれるという事です。
  児童ポルノ法は改正次第では、コミックなども範疇として含める目的で作られた法律です。改正案には現時点でコミックは入っていないようですが、議員さんによって入れる事も検討しているようです。
  
  ですが、「売るため」の目的の商業作品群は、結局の所「他者に対して」アピールするために作られたもので、いずれにしても前文で書いた「純粋芸術」とは遠いものです。そして「純粋芸術性」がなければ、芸術は芸術作品たりえない。ここが非常に重要です。
  例えば、商業的なアニメやコミック(実写ではないんですが、とりあえずわかりやすいのでそれで例えます)は、基本的にアニメ産業やコミック産業の、生活の為に描かれています。基本的にエンターテイメントです。他者に提供するための作品を作っています。
  見る側はそこにテーマなりなんなりを求めたりもするわけですが、基本はエンターテイメントであって娯楽です。例えば某アニメ作品で「サービスサービスぅ」という言葉もあります。視聴者へのサービス性が絶対にあるわけで、それは「売らんかな」もしくは「売るため」のものです。商品ですよね。「同じ萌え属性のオタクとの共感の為の表現」という言い方もできますが、   それが18禁ジャンルでは、「性的興奮の誘発目的」なのであり、「売らんかな」もしくは「売るため」の作品です。
  もっと言えば、不特定多数の他人に、それらを見せる目的で作っている、という事は、それは既に「ポルノ性がある」という事になります。

  ・・・単に少年や少女のヌードを写真に撮ったり描く事は、純粋芸術絵画もしくは純粋芸術写真としてありえます。
     人間の肉体は性とは不可分ですが、性的興奮を誘発するのではない、テーマなり精神なり哲学なりプラトニックな恋愛感情なり・・・そういうものを表現するのであれば、それは芸術作品です。
  それらは、売春婦的な行為でもないし、ポルノでもないって事になります。
  もともとギリシア・ローマ時代から人間の身体は全裸が一番美しいとされていたので、オリンピック(神々に競技や芸術を捧げる祭典)で、例えば実際には身体を衣類で覆っていても、彫刻絵画では局部をつつみかくさず描いたりもしていたわけで。それが絵画彫刻における根底の芸術精神です。それを描く上でモデルも当然全裸だった筈ですが、それに因縁をつけるヒステリーなんてのは、多分21世紀になった後の現在になるまでは、いなかったろうと思います。

  また、作品が作られたとしても他人に見せる予定すらない場合は、それらは私的な記録に過ぎないので、ポルノ(児童ポルノ)に該当しない事になります。
  ところが、それが最初から他者に見せたりネットでばらまく目的で作られているか、商業目的で作られていて、性的興奮を誘発する目的だと、それは、小説だろうが漫画だろうが、実写だろうがポルノです。(自分もそう思います)
  「表現芸術」という言葉がありますが、それも販売前提でありなおかつそれが「性表現」である場合は、他者向けのものです。
  少年や少女の裸体表現を描くなら、性的高揚目的であるべきではないって事です。

  昭和の時代から「芸術のためなら、私、脱ぎます!!」って女性(少女か成人女性か問わず)はいましたが、それは、そのモデルのその人その人を綺麗に描いてくれるという信頼があるからそういう発言も出るわけで、実際それに応えたのが昔の画家なり彫刻家なり写真家です。
  自分の若い姿をそのまま写真や絵画などの作品という形にとどめてほしいというのは実は女性でも男性でも持っている感情で、自分の若さなり青春なりが、いつか消えてしまうものだと判っていればその感情は切実なわけで。
  90年代にはそういう感情を利用する援交連中もいたし、AV関係者もいたからこういう法律が出来てしまったわけだけど。
  というか今、そういう感情を持つきれいで純粋な少女たちが、18歳を過ぎていきなり、AV女優や性風俗嬢にはまらされてしまうのは(新宿アルタの脇の通りとかその種のスカウトが山程いますが)、昔なら絵画や彫刻や芸術写真のジャンルのモデルになっていけた筈の子達の感情が、それらを社会的に叩かれるが故に行き場を失い、そういう性産業に横取りされているからです。
  ただ、援助交際連中は問題だけど、この法律運用については、作品があればそれがポルノか芸術かは必然的に他人でも理解できるし、モデル募集や過程の行為に援交売春的問題や脅迫行為があるなら、それは他の法律で規制されているので、やはり単純所持規制は芸術にとっては有害と言えます。

  つまりモデルの女性なり女の子にとって大事な芸術性というのは、自分を尊重してくれるかどうか?という事で、それを敷衍的に広げて解釈するなら、
  アニメやコミックでも、女の子を大事だと考えて描かれていない性的興奮を目的とした作品は、ポルノだという事です。「準児童ポルノ」といわれてますが、昔から「ポルノ文学」という言葉もあるので。
  「性交もしくは性交類似行為」を規制すべきだという考え方は正しいです。しかしそれ以外をことさらに規制する必要性があるのか?って事で。
  大体今の18禁コミックや18禁ゲームは陵辱内容や汚物的内容が多すぎるので、少女を大事にしようとかそういう感情は無く、当然2次元業界にもなんらかの規制はあるべきなわけです。それは断言できます。

  結局の所、ポルノか否かというのは、それら芸術精神を表現するためのものではなくて、他者に見せる(頒布)目的で製作されたか、性的興奮の誘発目的であるか、性交もしくは性交類似行為を描いているかという事になります。で、芸術表現というのはあくまで作り手の内面の発露から来るものの筈なので、
  「産業」であるならば、他者向け前提である時点で、芸術だとはいいづらい、って事にもなります。
  逆に個人製作の写真や映像、美術絵画彫刻などの方が、まだ芸術作品もしくは芸術性があると判断されているわけで、それが当然です。
  その辺を理解できていないので、既存の反対運動は根本的に間違っているという事です。
  (2011_7/12)

◎ 次は写真芸術と、絵画(コミック含む)創作との関係性に対しての必要性などについて書きます。例示イラスト描けてないので、以上、暫定更新でした。
  (2011_7/12)
  




◎ ていうか、これはコミック規制の時でも思っていて、変だなと思っていた事なんですが、(この段だけ、漫画アニメの話題です。)
  たとえば、通常コミックなりアニメで、露出度の多い作品を18禁扱いにして棚を別にするという都の青少年条例が通りましたよね?
  でも、それで18禁扱いにするという事は、その作品(ワンピースや少年マンガのセクシーものがそれに属しかねない、というのは一種ヒステリーだと思いますが)が、たとえばもう異常プレイだの輪姦だの何でもありの、18禁マンガと同じだという事にされてしまうって事で。
  それが、仮に単なるライトH(文字通りちょっとHな作品という意味)の作品などでも、H描写などがあれば規制されるのであれば(文言どおり犯罪的Hや売春などの描写が濃いのであれば同意できますが)、ただ普通に青春を描いていたマンガ家たちにとっては、すごくプライドを傷つけられる事になるんじゃないかと思います。そうなれば、それぞれ指定されたライトHコミック作家群が、かえって悪質化します。
  むしろ、普通にそのマンガのファンをしていた若者たちが、そのマンガに釣られて18禁コーナーに入り浸る事にもなりかねないわけで。
  実は、この一点が、「改正青少年条例」がまだ「改正条例案」だったときに僕が考えていたほぼ唯一の「論理的逆転の可能性」だったのですが、僕は段階的年齢わけでの規制は必要と考えていたし、
  規制反対していた最大規模同人即売会や10社会関連というのは、全ての規制を拒絶し、議論も放棄していたので、僕はこの主張の仕方を教える気分にもならなかったわけです。
  業界が「中学以上向け」か「R−15」で自主規制すれば良かったのに、何もする気が全くない。だから、こうなったわけです。
  ライトH作品が都条例で規制された後、その作品群が置かれる事になる18禁の棚は、今まで十数年、凄まじいエログロSM汚物異常趣味です。で、それらと同等に扱うべきコミックなのか?っていう現実は直視すべきです。
  つまり、あの青少年条例は、「18禁なんか汚らわしいから見てもいませんが、このマンガはちょっとHなので18禁にしてください」っていう、知らない大人が言い出したものです。
  18禁コミックがどれだけやばい内容が多いか解っていれば、絶対に「中学生以上向け」とか、「R−15」とか、段階を区切って規制します。
  (たとえば先日話した小学5年生の男子二人はPSPの初音ミクで遊んだり、「神のみぞ知るセカイ」なども見ていて、あの主人公は馬鹿だ、などと言ってたし、フリマで話す子たちもそんな感じです。女の子でも「けいおん」位見てるし。けいおんは無害過ぎる位無害だけど。
  で、たとえば「神のみ」を小学生が見るのが問題だと大人が思うとしても、深夜アニメを小学生の為に総規制というのは変だし、逆に残酷内容のアニメを無規制というのも変だし。
  いずれにせよ、18歳が規制ラインになるというのは、結局の所・・・僕から見れば無意味に高年齢のラインです)
  それをしないで(理由は、面倒っちぃからでしょう。)18歳でいきなり極度の異常趣味と触れる世界になるから、AVや風俗に少女を引き込む高校の内の青田刈りをしている連中がのさばる都内になるわけです。
  純粋に少女を育てるのも純粋培養もいいのですが、「危険な連中がどれだけ危険か」って事を全く教師が教えない現代では、少女を守っているのは、結局過激とすら言われている少女漫画やアニメだけ。それが現実です。
  僕の コスプレ研究ページ でも、18歳以上のAVや風俗のコスプレイヤーへの勧誘の危険については書いていますが、ネット上でのセーフサーチではページが検索ヒットせず(AV風俗などの18禁連中が、逆恨み通報しているようです)、肝心の15歳以上がセーフサーチしている場合は目に触れません。つまり「児童」をいくつまでに大人たちが設定してるんだ?って問題でもあるけれど、オート機能によるセーフサーチというのは、少年少女が自立的に身を守るために情報検索する機会すら奪っているわけです。)
  少女の精神に教育しているのがマンガだけで教師は何も出来ていないのに、描写そのものを規制しても、テーマのある少女漫画は潰れていきます。
  僕は何らかの規制を入れる事には賛成しますが、18禁として扱われるべきか違うかは、それこそ作品によると思います。

  普通のコミックを18禁扱いにするっていうのは、実際に「今の18禁コミックがどういうものか?」という基準を知ってる人々が、「この作品はそれらと同等に類する」という価値観で決めて行かなければなりませんが、
  なら「いつも18禁として売られている成年向けコミック」というのは、平均的にどこまで酷い陵辱的な作品なのか?ってのを、都側は今一、解っていないんじゃないかという不安はあります。
    ( なんか文章いくら追加してもわからない人には無理なので、ここまでで察して下さい 2011_6/27)



以下、TOPページに書いていた文。 ◎ 児童ポルノ禁止法改正案、自・公が今国会提出へ
 僕は児ポ法の概念には同意しますが、単純所持を禁じた改正案には絶対反対。
 こんなの通したら美術も芸術も作れなくなります。
 例えばアニメだって裸から服を着せて絵作りしていきます。服を着ていても基本的には変わらない。
 芸術系の球体関節人形だってモデルの写真がなければ素体を作るのが極めて困難です。
 (自分はなかばそれに近い状態で作ってますが、その結果を出すのが極めて困難なのも事実です)
 つまり絵なり彫刻を作る上で、写真などから学ぶ事ができなくなります。
 漫画絵はディフォルメだったり単純化だったりしますが、絵画や彫刻は大方ディテールの追求で、逆です。
 大体どこから芸術ではなくポルノなのか、何歳以下が児童なのかが判然としない。その定義を何故しないのか。
 例えば、海外で芸術と認められているヌード写真があるとして、それを国内ではデフォルトでダメだとしてしまう、その根拠は何?
 モデルをもてないから写真があるだろう、写真を規制すれば次は解剖図があるだろう・・・狂ってます。
 綺麗だとか、かわいいとか、人間の素直な感情を素直に表現する事が出来ない社会はファシズム時代や文革です。
 健康と変質性はごたまぜ解釈する癖に、18歳以上になればSMもグロもいきなり解禁ってどんな異常社会?
 芸術は規制するが、撮影死亡者すら出るAV業界は、怖いから一切規制なし?どんな社会ですか?
 そんなものを推奨する自民党公明党に、僕は今後一切票を投ずる事はありません。
 例えば。個人が個人として、写真を元にして私的に少女の彫刻を作る自由すらない国は、
 非自由で非民主主義の国家と同じです。結果生まれる国家は、
 所謂ゲシュタポに通報した住人と共にニヤニヤしたナチス的な、暴力国家と密告社会です。
 (「虐殺がない」からナチスではない・・・でも自公政治の原発推進で、
 福島原発周辺はもう人は住めないし家畜は総殺処分。国会の話そらすのもいい加減にしろって感じ。)
 戦前の特高体制を目指すなら自民公明は即時解党すべきです。民主も同意するなら民主も解党していいです。
 おそらく今回の改正案は、日本国憲法の「すべて国民は 健 康 で 文 化 的な
 最低限度の生活を営む権利を有する。」を、否定した案だと思います。 (2011_6/20)
 (P.S. 自作人形だけど、今このドールはこんな白い目しか大人たちに向けられないよね。本当の話。
インテリじゃなきゃ存在を認められないの?本能的な存在(or行為)には命の重さはないの?
(※これ、宮崎の殺処分で政府が種牛まで殺させた時に皆気づくべきだった。今の政府は生物に魂が無いと考えてます
動物も花も人間も、自分が滅んでも何かが残ると思うから生きて滅べる。根絶やしが出来る国は生物の尊厳を認めない国です。)
芸術作品に出た少女達に「あなた方はポルノです」と宣告した大人の権力主義を、絶対忘れない。)
(※確かに、90年代末期まで援助交際とかひどかったんだけどさ・・・もういい、別ページで書く・・・)


◎ なんか理解してもらえない気がするので、もう少し書くと、
自分は日記に書いた通り、総理大臣制はもう終わりにして大統領制にして、
党を解党し、その大統領に付くか付かないか、(衆・参)与議員、野議員に分ければいいと思います。
どうせ今の政党は各マニフェストなんて実行できる筈がないんだから、毎回解党解散すればいい。
自分はね、今日の亀井氏の発言から考えても、次の総理大臣は亀井氏がなるべきだと思いますが、
それこそ石破氏でも前原氏でもそれぞれの議員でも、大統領選して、そこから与党作ればいいんだよ。
(2011_6/20 2〜3日で別ページに上記移動。僕もこれをTOPに書くのは哀しい。)


◎ ていうか、少年少女が芸術作品なり芸術写真のモデルになったりする事を、
  (むかしだったらテレビドラマでの入浴シーンなどもあったわけだけど)
  同級生やPTAの好奇の視線・・・はまだしも、中傷や侮辱やいじめにつながるんだとしたら、
  何で学校の先生が、そういういじめや中傷行為を「絶対にしてはならない事だ」と教えないんだろう?
  それはこの国の教育要項が、ちゃんと教えるべきだと、当然定めるべき事じゃないんだろうか?
  何で芸術作品を作る上で少年少女がモデルをする事が、アイドルになったりするより低く見られる?変だよ。
  (これ、大人の世界でも一緒なんだけどさ。美術モデルがAV嬢より低く見られてるって、異常じゃんかと思う。)
  芸術作品を作る人にとって必要だからそれに参加した、って事をどうしてほめられないんだろう?
  否、勇気をほめるほめないは別として、社会的に存在意義のある事だからと「認める」事が出来ないのなら、
  そんな先生は教師の資格はないと思います。いじめにPTAや他父兄が加担するのも異常だし。
  論点はむしろ、その作品の芸術性によるんだよ、多分。でもそれをすっぽかすって、理解できない。 (2011_6/22)


◎ ていうか、石原都知事が 「日本が生きるには、軍事政権つくれ。徴兵制やるべき」
「日本は核を持つべき。核なしで一翻ないとあがれない」
と発言したらしいんだけど、僕は珍しく怒ってます。
  日本の自衛隊員だって、軍隊ではなく自衛隊だからこそ誇りを持ってやってきたんだろうに。
  核は原子力とは違うし、だからIAEAがいつも査察してる。日本は持っていいが北朝鮮は持っちゃ駄目と言える?
  ミリタリアンに媚びてるように誤解されるというか。軍オタの支持集めてどうすんの。
  あと自分は児ポ法改正案の単純所持禁止には反対ですが(芸術まで押収しかねないって意味で)、
  最大規模同人即売会系反対運動はまともな反対運動として認められません。彼らは18禁です。
  それは同即売会の直営中古同人誌書店のネット販売物の殆どが18禁同人誌である事からも一目瞭然です。
  しかも18禁同人誌などで小児への性行為描写や虐待どころか残虐内容を容認しているからです。
  芸術かポルノかの区別で保護対象決めるなら、保護対象からポルノ性を除外するのは当然です。
  ていうか僕は基本的に平和主義なんだよ!でなきゃトイだのドールだの集めるもんか。



( by LX=1224 kohji_molimoto)







 
 
 
 
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